そんなワカメは明日の海に沈む

2009
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#43
個展が終わって、なんだか、今週くらいからおくればせながら新学期が始まった気分です。
個展終了後、いろんな人と話したり、いままで読んでこなかった本を読んだり、就職活動的なことをやってみたり、なんだか細かいことをいろいろやってるので、なにかモノを作ったりしてるわけではありませんが、結構充実しています。

来月は、大須の街ビルに、壁画を描くことになりました。今回は自分はメインではなくアシなのですが、またこれを機会に人の輪を広げることができたらいいなぁと思っております。


もうゴールデンweekです。バイトの予定くらいしかたってないので、あんまりワクワクはしません。ですが、とても行きたい展覧会があるので、ちょっと紹介しときます。




sample show room "the sample"
栗本百合子展
会期:2009年5月2日(土)、3日(日)、4日(月)
時間:11:00~18:00
会場:愛知製陶所 第3見本室
   瀬戸市安戸町26

http://kurimotoy.nobody.jp/



地元で活躍している作家さんです。作品も、もちろんステキなのですが、その人柄もステキで、自分がとても好きな作家さんです。
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#42
おそらく、次は、このイベント参加から自分の作品がスタートしそうな感じです。

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kayaku nightという、ダンスイベントの2弾です。
前回は、見た所本当になんでもあり!って感じだったので、今回は相当テーマ意識という感じです。まだぜんぜん作品を考えていませんが、オーディエンスの身体に直接的に訴えかけることができるような、「仕掛け」的な作品を考えています。自分がどんな作品をつくることになるのか楽しみです。

自分に期待しつつしっかり考えていきたいです。「作家」としての部位の永井は、いつも正直かなり放任というか遊ばせています。最近、ちょっと遠くに行き過ぎて、いまいちついていけてないというか把握できない感じです。こまったこまったw



友人との会話の中で自分のなかにある「表現」という言葉の範囲のあいまいさが浮き彫りになりました。自分のやっていることがいまいち「表現」なのかどうなのか微妙なところです。自分の作品は、インスタレーションという部類であることには間違いないけれども、どうも「何」なのかよくわからない。特に近作は、そこに存在しとる意味を自分で疑問に思ってしまうものもあったという笑い話。
それが「何」か?というのってものが生み出される最低用件のはずなのに、意外と外してしまってることが多い。人が生まれることに意味はつけがたいけど、人が生みだすものには必然的に意味がつきまとう。

なんでもアートな時代で、なにやってもアートなんだけど、どんなものも、一定の基準を超えないと、何にも見られない。意外とそこは忘れがちなんですね。
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#41
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ちょっとおわってから経ってしまいましたが、先週の19日に、無事「あなた」展おわりました!!
初めは、あまりにあやういものなだけにギャラリーの事務の人にも開催初日崩壊をかなり心配されていたんですが、どうにかずっともってくれました!笑

なんだかモダニズムっていうかそういうような・・・・・まあデュシャンのおトイレみたいな感じですが、れっきとした空間構成インスタレーションです。
えらい感動して帰って行く人か、ふーんって言う人か、まったく展示に気づかず通り過ぎる人。その3パターン以外ありませんでした。ちなみに3番目は80パーセントでした 笑



個人的に、なんだかこの作品で3年からの一連の動きが終わった感じがします。なんというか、このままの流れでは・・・いかんな。と。そういうわけです。
長かった。正直、何が終わったとかそういうことさえいまいちうまく指摘できないわけですが、どうも目指していたことを達成したというか。。。。。
ここでなにか自分を変えないと、「アートごっこ」を続けて、生暖かい感想に満足してしまいそうで、なんだかそんな状況に陥るのが怖い。というか既にそんな感じかも。

ここからなんです。これまでのやって来たことは別に無駄ってわけじゃなくて、これからのアクションにとってはもちろんそれを進めるベースに十分なりうると思う。


ただ、今後どう舵取りをして行くかは実際未定。流れが終わったなんてのも、そう決定したわけではなく、「そんな感じ」とか予言のようなあいまいなものです。ただ、なにかこっからは新しい方向を指針していかねばならないことがなんとなくわかる。そんな程度です。


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#40
ブログ内では完全に告知し忘れていましたが、今、ナゴヤドームとなりの市民ギャラリー矢田で個展をしています。14日から19日まで(9:30から19:00<最終日~17:00>)やっています。お近くに立ち寄った際にはぜひいらしてくださいな☆あと2日です!

ひますぎてお隣で個展やってる人と完全家族のような感じにフレンドリーになってしまってますw
最終日は、作品を解体してその人のお孫さんの為に家を造ってあげることになってますwヒマな人は最終日の5時以降にギャラリ来てみてください

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#39
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5日に、日帰りで東京に行ってきました☆
人にお金借りてる状態だったし、とにかくお金ない感じだったので、図録以外何も買わず、もちろん朝昼夜マックっていうスーパーローコストだったのですが、いいもん見て帰ってきました。
もちろんお目当ては、先日記述した「テオ ヤンセン」展です☆
やっぱり本物が動くところはすごい・・・
んだけど、やっぱりあのこたちは砂浜で「生息」し続けているところがみたい!!
結局あの状態じゃ死骸というか、剥製展示みたいなもんだから、
テオさんが元気なうちにオランダに行ってアニマル達が砂浜を歩く所をみてみたいものです。
にしても改めて見ると、本当に簡単な仕組みで動いている。コンピュータメカでなんでも動かせるが故に、すべてがコンピュータまかせにされてしまう時代だからこそ、虚を突かれた感じで驚かされます。

長ったらしいコンセントなんかなくとも、風さえ吹けば、そのすべてが動き始める。造り出された者達は、皆が生き物としてその名を呼ばれ、そのときから一匹の「生物」として、自立を始める。
これこそ科学と芸術の中間点に位置するアクションです。新たなる生命の創造は、意外とこんな詩的かつシンプルなところから生まれるもんなのかもしれませんね。

テオさんには、まだまだ精力的に研究をし続けてほしい。
人が神になる瞬間をぜひとも見てみたいものです。

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#38
今年通年かけて取り組む個人的な主題に、こういう名前つけてます。
僕は別にシャレ好きじゃないんですが、なんとなくゴロがピッタリきてしまったからこう呼んでるだけです;w

実際、小牧のフェスで知り合った人にいろいろ勉強させてもらったり、地元情報を固め始めるなど、ちょこっとづつ「最終形態」に向けて準備は始めているんだけど、まさにその「最終形態」のヴィジョンがまったく明確でないから、本末転倒。進めようにも進められない。

人は集まりそうだし、金策についても以前よりはある程度理解して来た。だが、担ぐ奴だけあつまっても担ぐ神輿がねえんじゃあどうにもなんねえじゃね~~か~~!!!ってかなりやきもきしてます。

でもやはり、まだ勉強が足りないのも確かだし、あせって既存の考え方で進めようとするのも、絶対に避けたい。あくまで、アートサイド、アーティストという立場として、街を彫刻するかのように街と関わりたいという所は変えたくない。

町おこしだとか、なんとも尊い立場ではなく、よくも悪くも自分のアートにおける「実験フィールド」として、街でアクションが行われればいいと思っています。



最近は、「アート」というものを地域の活性化などに使っている地域は爆発的に増えていて、いろんなところで「アート○○」とか「クラフト○○」などを目にする機会が増えましたねえ。そういった場では、「アート」というものが原動力であったり起爆剤であったりといった役目で活躍し、とても多くのイベントが成功を収めていると思う。
けれども、それらの「アート」が皆アートとしてその価値をしっかり成り立たせているかどうかは、ちょっとわからないところです。
「アーティスティックなもの」が寄せ集められただけでは、はっきりいってそこにアートの力の必要性は感じられない。
むしろアートなんて自己満であることが自明なだけに、まさに見苦しいゴミづくりの集会以上の何者でもなくなってしまいます。

ほんの一秒前までなかったものを、今自分がそこに生み出したいと渇望する、絶対的な新規性の追求。すべてにおいての境界を無視せんとするほどの破壊力。自己の内に入り込むが故の、芯からみなぎる原動力。それこそがアートの魅力であり、それを除いては、何にもならんと思います。
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